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アバックプロデュース

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冨永 信太郎

国際経営コンサルタント

  大学生時代

 生まれ故郷の長崎県佐世保市にあった長崎県立経済学部経済学科に高校卒業後現役で入学した。自宅から歩いて通えるような場所にあり、地理的、経済的にとても助かったが、そこを選んだ主な理由は他にあった。

佐世保にあった米海軍基地の存在で、大学に通う傍ら、なんとかして、基地内でアルバイトをしながら、米語を身に付けたいという意図である。その機会は大学2年生の初期に訪れた。アルバイト求人掲示板をみたら、佐世保米海軍基地からのアルバイト紹介があり、それをみて、すぐに自動二輪車を駆って、紹介の場所に向かった。

着いたところは、Enlisted Men’s Clubという社交場で、基地の米軍属の人々やベトナム戦争の戦場から空母に乗って休養に寄港した兵士達が一時骨を休める場所だった。

 

Enlisted Men’s Clubというのは、主に、高校を出ていないような青年達が、志願して入隊した兵士達のクラブを意味し、高い教養をあまり積んでいなかった。ために、黒人、ヒスパニック系、イタリア系、フィリピン志願兵、ベトナム志願兵等の集まりでもあった。白人もいたが、彼等もほとんどが高校を出ていなかった。

 

そこではじめて、生きた、しかも、アメリカの下層階級の人達が話す米語を俗語とともに、浴びるようにぶつけられた。何を言っているのか分からず、学校で習った英語が現場では役にたたないことを身を持って知らされた。アメリカの大都市によく見かけられるスラム街に出入りしているようなものでもあった。

 

そのお陰で、現在に到るまで、映画が字幕なしで堪能できる。米海軍で使われる俗語、しかも、志願兵達の言葉は、アメリカでも相当にひどいと言われている関係上、私は好むと好まざるとに関わらず、卑猥な俗語の集中砲火の真っただ中に身を晒していたことになる。

 

19才を過ぎて20才になろうとしていた時期で、まだ私の頭脳は柔軟であり、生きた米語を吸収していった。場所柄、バーテンダーとして働き、酒と音楽と俗語しかし底抜けに明るい米兵達の響声のなかで、カクテルの作り方を覚えつつ、下層階級の人達の風習も同時に学んでいった。

 

ある士官(Officer)から、俗語を知るのは良いが、使わないようにとたしなめられ、そのお陰で、アメリカは言葉を如何に使うかにより、教養が推し量られるということを知った。

 

大学に通っているときは、国際経済を学び、その英語の原書購読は進んで選択し、かつ、大学が提供していた英会話1と英会話2を4年生まで繰り返し受講した。それにより、高級言語の使い方や、政治経済に関する国際常識等の英語を覚えることができた。

 

米軍属の友人はたくさんできた。現在彼等とはほとんど交渉はないが、とてもなつかしく思い出す。

 

 大学を卒業して

 

大学を卒業してすぐに、貿易商社に入社して、中国貿易の業務に就いた。輸出を担当し、輸出業務一般を学んだ。しかし、学生時代に培った英語力を生かす場がなく、二年ほどで辞めて東南アジアへと転身した。

 

はじめてシンガポールに着いたとき、彼等が話す英語がとても聞き辛かった。何度も聞き返さなければならない事態が頻繁に発生した。そうかと思えば、ホテルなどの受け付けの人達、あるいはラジオ、テレビのニュース解説者が話す英語はとても良く聞き取ることができた。その差はどこから来るのか、と思ったら、シンガポール人は、その出身民族(中国系、マレー系、タミール系など)の母語に影響を受けた英語の発音をしがちで、特別に訓練を受けないと、英米人が話すようにはできない、ということが分かった。

 

日本人は日本的な英語の発音を嫌がり、特に米国人の発音に憧れ、彼等が話すように英語が発音できるよう、努力を重ねているにも関わらず、なかなかその域には達せないでいるのが現状だが、シンガポール人を見ていると、なんだか日本人の有様が滑稽に思えてきた。

 

シンガポールでは、英語教育を小学校の頃から受けている人が多く、その英語は発音に囚われずに聞いていると、素晴しいものであった。とても、私にはかなわなかった。だから、彼等の水準に達するために、彼等が小中高大で一貫して英語教育で育ったその全過程を経なければならないことに気付き、独学で、物理、数学、英語、その他の社会文化系の専門書を読み続け、専門的知識を得るように努力した結果、約5年ほどでシンガポール大学卒の人達と不自由なくいろんな主題に関して意見交換ができるようになった。

 

 異文化経営の習得

 

同時に、シンガポールにいたころ、日本の電子部品製造会社の立ち上げから経営、撤退までの一連の業務を通じて、以下のことを行なった。

 

1)    労務管理上の規則を英文化した。

2)    生産管理上の英文手引書を品質管理と原価管理と関連させて作成した。

3)    原価管理に関して地元の公認会計士とともにその方法論を検討した。

4)    製品カタログの作成をした。

5)    顧客認定用仕様書の作成をした。

6)    発注書、納品書、請求書等一連の必要書類を作成した。

7)    異民族、異宗教、異文化が錯綜する製造現場で、異質な人達とどのように意思疎通を行ない、どのように製造効率を上げるか、その方法を模索した。

8)    工場立上、賃貸契約、総務、製造、販売、資金回収、撤退等の一連の業務、すなわち、異文化経営の一循環を実践した。

 

 独立

 

日本の電子部品製造会社が撤退した後、会社を辞めて、インドネシア華人財閥とスイス金融資本家の資金協力を得て、会社を設立し、電子部品製造、工作機会輸入、電線加工(ワイヤーハーネス)、酪農製品輸入、菓子製品輸入、ワイン、コニャック輸入などを目的として、経営を行なった。設立当初から黒字経営を維持した。

 

得意先としては、フィリップス、ゼネラルエレクトリック、ブラックアンドデッカー、ロバートボッシュ、松下電器、住友電工、クラリオンなど電子部品、工作機械等を購入してもらい、シンガポールの有名ホテル、デューティフリーショッパーズ、その他有名デパート、スーパーマーケットなどに対して酪農製品、菓子類、ワイン・コニャックなどの販売を行なった。

 

市場としては、シンガポールを中心とした東南アジア諸国から、欧米まで開拓し、良く欧米へは長期出張した。

 

日本の電子部品製造会社の経営と併せて、それ以前にその方法論を誰からも教えてもらったことはなく、ほとんど自助努力により、原価計算から生産管理、営業開発(セールスアンドマーケティング)を行なった。この経験は、現在、国際経営コンサルティングや研修を行なうときに、テキストを自分の手で作成することに役だっている。ただ、無名なために、有名な諸先生方が書き著した専門書を参考程度に引用することがあるが、実践論というより原理に近い本を参照することにしている。

 

順調に経営が推移していたとき、国際的に活躍していた詐欺師につかまり、連続的に示し合わせた連携詐欺事件に巻き込まれ、会社の運転資金が一時期枯渇し、株主に応援を要請したが、叶わず、会社を整理し、商権、製造権等を新会社に委譲し、新しい株主を募り、再生をかけた。しかし、新株主と経営方法に関して意見が合わず、対立が激化し、好調に経営が推移していたにも関わらず、全権を新株主に譲渡し会社を去った。この失敗は心の痛手となり、かなり長期間深層心理に封印してしまった。

 

 異文化独立経営から得た教訓

1)      契約交渉をわずらわしいと思うと、後で必ず、重大な問題が発生する。

2)      英語の達人であると増長すれば、その慢心から国際詐欺師につけ込まれ易くなる。

3)      営業力に自信があり、その営業力が逆に経営を苦しめることがある。

4)      資金繰、製造能力、営業資源などを総合的に分析せずに、やみくもに注文をとってくるべきではない。

5)      外国人に銀行は資金を貸し渋る。

6)      国際金融と日本金融の実態には天と地ほどの差異がある。

7)      情緒的経営は破綻する。

8)      パートナーシップに義理、人情は通用しない。儲かっているときには無理は通ることがあるが、儲からないと思うと非情になる。

9)      民族的・文化的優劣意識は経営を阻害する。

 

 欧州への転身

 

会社から去った後、家族を日本へ帰し、自信喪失、満身創痍のまま、単身、日本の証券会社系列のベンチャー会社の嘱託顧問として、欧米へ長期間旅立った。
充電期間と心得、再度、自分の能力を見つめ直した。

 

語学の真相

ロンドンに滞在していたとき(1987年頃)、市中の大きな書店へ入っていったところ、うず高く積まれていた二つの言語書籍が目に入った。

 

それらは以下の本だった;

 

“Oxford University Press”出版

“A Practical English Grammar” by A.J. Thompson & A.V. Martinet

“ Practical English Usage” by Michael Swan

 

両方の本を立ち読みしたところ、まさに目から鱗が落ちるほどの衝撃を受けて、直ちに買い求め、アパートに帰って、読み耽った。読めば読むほど、如何に、自分が英語を中途半端にしか知らなかったかを思い知らされた。そして、しばらく、英語を話すことができなくなった。シンガポールで味わった経営に対する自信喪失に加えて、語学に対する自信が一挙に崩れ去った。

 

完了、仮定法、助動詞、冠詞、名詞、どれをとっても、私はそれらの基本的理解を曖昧にしたまま、英語の達人だという誤解をしていた。過去を振り返ると、その慢心が滑稽に思え、同時に、強烈な自己嫌悪が芽生えて来た。

 

繰り返し、繰り返し、二つの本を読み進むうちに、ふと、疑問が芽生えた。

 

「英語はこの本のように合理的、論理的に説明できるのに、なぜ、日本語はそのような文法解説書がないのだろうか」

と、思った。このことは、しばらく解決できず、二つの本を私の座右の書にしつつ、やがて、ロンドンからアメリカへと渡った。学生時代に私に生の米語を教えてくれた兵士達がいる、あのアメリカだった。

 

 アメリカへの転身

アメリカでは、おもに、テキサスのダラスを拠点として、カリフォルニアのシリコンバレーに良く滞在した。モーテルからモーテルの移動を繰り返し、以下の事を行なった。

 

1)      新しい技術情報の収集 - 生化学、医薬、免疫治療関連、電子、コンピュータなどのハイテク技術に関連する産業調査

2)      ベンチャー会社の実態調査(買収等を目的として)

3)      ハイテク産業で使われる専門語彙を理解するために、科学雑誌を購読し、学習した。

4)      電子部品、半導体製品を売り込むための、市場調査とプロスペクティング(有望な顧客を探し求める活動)

5)      重要文献の日本語への翻訳と報告

 

このような活動を通じて、米国人のベンチャー起業精神を知ることができた。また、たくさんのベンチャー起業家と意見交換をするなかで、ベンチャーとは何かということを皮膚感覚で知った。私がシンガポールで行なったことこそ、実にベンチャービジネスだった、ということを理解した。しかし、アメリカの金融風土があってはじめてベンチャービジネスが生きる道がある、ということも同時に知った。

 

ベンチャー事業は;

1)      金融機関が無形資産の評価を積極的に行なうだけの能力を備えている。

2)      無形資産とは、経営者の技術的専門能力と経営能力を過去の実績をみながら、同時に、経営者が作成した経営企画書を意味し、会社にどれだけの固定資産があるかなどは重要視しない。いわゆる潜在成長力のことを言う。それを資産として勘案する。

3)      危険率が極めて高い、highly riskyという文言を入れた経営企画書と投資案内書を作成し、経営資質と経験情報を公開し、堂々と投資家を募る。すなわち、開拓者精神を温存するアメリカを彷彿とさせる。

4)      敗者復活戦が可能な文化的土壌が存在する。 - シリコンバレーでは、平均すると、7回失敗して8回目にようやく成功する、と言われている。ということは、そのベンチャー企業に投資した金融機関、個人らは、持っている株券の資産価値がゼロになっても、経営者が 公明正大に情報を公開していれば、問題にしない、ということを意味し、同時に、そういう起業家達がいつかは成功することを期待している。

5)      ベンチャーキャピタル家達も、自己責任において投資している。融資ではなく、投資であるから、返済計画などは期待しない。投資家が期待するのは、その企業が上場したときに、キャピタル・ゲインを狙うことである。日本では、投資ではなく、融資となりがちで、その際、担保設定から、会社保証、更には経営者の個人保証なども取り付けるから、米国のベンチャー起業精神とは大きく掛けはなれている。

6)      起業家は、投資家から集めた資金をどのように活用しているかという財務情報を公開しなければならない。倒産したときに、その内容に不明瞭な箇所があれば、重大な問題となるが、財務情報が透明である限り、投資家はその倒産を投資失敗とみなし、新しい投資先を探し続ける。

7)      日本は風土的にベンチャー起業家が育つ条件はあまりない。

 

 国連公用語(英語)検定

 

アメリカから日本へ一時帰国し、国際連合主催の英語検定を受けた。私の家内が、私に知らせないまま、国連英語検定の一番難しい特A級に応募していた。受験日一週間前に帰国し、不安なままその試験を受けた。

 

準備も予習あまりせずに受けたために、当日受けた筆記試験の難しさが気になりながら、アメリカに帰り、しばらくすると、合格の通知書が家内から郵送で届けられた。すぐに面接試験のために再び帰国し、合格することができた。

 

なぜ準備もあまりないまま合格したか、と考えると、広範な知識を得るためにいろんな書籍を英語で読み、かつ、国際時事関連の情報も興味があり、関連情報を仕入れていたから、それが準備になっていたのかもしれない。

 

そのお陰で、喪失した自信を取り戻し、顧問契約を更新せずに、日本のいろんな会社で嘱託として国際営業開発を行なった。しばらくして、日本人との意思疎通に困る自分を発見し、ロンドンにいたときに頭に浮かんだ;

「英語はこの本のように合理的、論理的に説明できるのに、なぜ、日本語はそのような文法解説書がないのだろうか」

という疑問を思いだし、付加して、「なぜ自分は同邦人と、円滑な意思疎通ができないのだろうか」という疑問が私を襲い、不安な面持ちで、再び、アメリカへと単身旅立った。

http://www.kokureneiken.jp/expert/index.html 

 

 

 米国式営業研修

 

現地では、マサチューセッツ州のボストンにいて、工業用保守、補修製品の製造販売会社の国際販売顧問として仕事をした。かなり徹底した営業研修を受けた。現役の製造専門家、営業専門家達が、営業方法論から、プレゼンテーション方法論、販売店(distributor)管理方法などを3ヵ月間鍛えられた。理論と実践を加味した研修のなかで、どれだけたくさん失敗するかが重要であることを知った。もちろん知識に関しては80%以上の点数を獲得しなければならないが、実習研修では、うまくやろうと思うな、と言われ、現場で失敗したら、大変だから、そういう失敗を研修で行なえ、そして現場ではできるだけ成功するようにしなさい、という研修方法には満足した。

 

英語を母語としない人は研修のなかで私一人だけであり、他は米国人、英国人などがいた。私は米国の異民族、異文化環境というものは、確かに素晴しい研修方法を構築しているものだ、と気付いた。誰一人私の英語を笑う人はいずに、

 

プレゼンテーションで一所懸命に私が説明するその英語を聞いてくれて、そして、ためらわずに批評をしてくれる、その姿には感動をおぼえた。

 

最初のころ、評価は低かった。しかし、徐々にアメリカという風土では、各々がその個性をあるがままに発揮し表明していけば、多数派のアメリカ人はそれを許容する、ということが分かるや否や、実際に顧客を訪問し、そこで、研修で習った方法論を活用しながら、自分が日本人であるということを意識的に利用して、日本的な顧客接近法を編み出した。

 

米国南部諸州をレンタカーを駆って、モーテルからモーテルと移動を繰り返し、実地研修が行なわれた。行った先々で、販売店の方達が暖かく迎えてくれて、研修というより、逆に、米国人営業員(男性、女性)に販売方法を伝授しながら、共に営業開拓を行なった。私を営業講師として看做してくれたアメリカ人の器量には驚いた。日本人でありながら、なんのわだかまりもなく、私を研修中の日本人と見ずに、講師として接してくれた、その態度に、今まで見えていなかったアメリカ人のおおらかな気持ちに打たれた。

 

この経験は、私がシンガポールで失敗したことから来る精神的傷を癒すのに相当効果があり、積極的にシンガポールの経験を総括する契機となった。

 

 コンサルティング

 

約4ヵ月の研修を終了して、日本へ帰国した。それ以来、独立して国際経営コンサルタントを行なって来た。

 

コンサルティングを始めるときになって、私は改めて、日本語と英語の構造的、文化的違いを私なりに分析する作業を始めた。

 

ようやく分かったことが、英語をきちんと理解するためには、日本語の理解をまずきちんとすべきだ、ということだった。

 

当然と言えば当然だった。なぜなら、多くの日本人は生まれ落ちた時から、日本語の環境、日本文化のなかで育ち、日本語そのものの構造によりものを考え、意思疎通を行なっているために、その思考方式に従って、英語を見ているし、捉えている。

 

日本語という和語が基本的に、絵画的、多義的、情動的である、ということを、大野晋氏、鈴木孝夫氏、荒木博之氏らが書いたたくさんの本を読むなかで知った。そして、同時に、如何に自分が日本語を客観的に知っていなかったか、ということに気付いた。

 

これを知ることはとても重要である。なぜなら、日本で生まれ育ち教育を受けた日本人は英語という外国語を、日本語を通して理解するからだ。その日本語というものが、英語とどう違うかを知らなければ、英語の適切な習得は難しい。日本語と英語がどのように違うかを知るためには、日本語がどういうものかを客観的にかつ論理的に知る必要がある。しかしながら、日本では、日本人に対して日本語を論理的かつ客観的に教えるということはあまり関心がないように見受けられる。

 

日本語というものを、客観的に知ることにより、私は、自己発見をすることができた。

 

1)      「英語はこの本のように合理的、論理的に説明できるのに、なぜ、日本語はそのような文法解説書がないのだろうか」

2)      「なぜ自分は同邦人と、円滑な意思疎通ができないのだろうか」この二つの疑問は、日本語を知ることにより、解消できた。

私は日本語を学ぶ作業により以下の回答を得た。

 

1)      日本は一様性の文化により社会が影響を受けている。これを単一的文化と呼ぶ。外国を回って分かることだが、隣に異民族がいるのが常態である。異民族は異文化を背景に持っている。ならば、暗黙知という文化により醸成される、風習、風土、習慣なども異なる。更には、物体、現象、心理などの認知方法も異なり、だから、既知情報は、相手にとっても既知である、と看做すことはできない。だから、既知だという予断をせずに、我が汝に話しをするときには、主語を明確に立てて、主語以下、その説明を論理的に行なっていくことが必要になる。そういう異文化環境では、言葉を人と人の意思疎通の重要な手段として、活用することが当り前となる。だから、言葉の使い方を説明したいろんな本並びに言葉の定義を明確にするための辞書ができ上がってくる。

 

2)      しかしながら、単一的文化圏の日本では、異民族が隣にいつもいる状態ではなく、感性が似通って来て、暗黙知もほぼ推測できるほど一様となり、それを共有し、既知情報が予断できる。だから、普通の会話は、未知情報を簡単に言い合う、簡単なものとなる。そういう社会では、主体、客体を明確にして、細かく説明を行なう人は煙たがられる。だから、言葉というものを、人と人との意思疎通の重要な手段として活用する方法論を客観的に構築せずともよくなり、日本語を論理的に説明する本が乏しくなる。

 

3)      同じ日本人との円滑な意思疎通ができなかった背景には、長い間異文化の環境にいたために、いつのまにか、既知情報と未知情報を予断せずに、外国人が普段行なっているような主体、客体を明確にした話法を身に付けていたためと見られる。

 

4)      また、外国で見聞してきたこと全ては、私の体感情報であり、本から得た知識ではなかった。それらを、丁寧に語るとき、それを聞かされる日本人は、普通、消化不良を起し、私に対して暗黙の違和感を抱き、疎遠になるか、あるいは、私の先回りをして、私は少々変だから、気にしないようにと、知り合いに伝えたり、する現象が起きた。

 

それらのことを、今までこつこつと異文化ビジネス・コミュニケーション論として、書き記して来た。

 

機会ある毎に、異文化ビジネス交渉論のセミナーの講師として発表して来た。それと並列して、ドイツのBMW社から販売店管理コンサルティングの仕事を請け負い、ドイツの本社に赴き、約5週間の販売研修講師としての研修を受けることとなった。私がアメリカにいたときと似たような研修であり、楽しく受講することができた。そして、産能大学を知ることとなった。

 

産能大学の国際部から委嘱を受けて、国際化支援研修プログラムの講師として、異文化コミュニケーション論を、株式会社いすゞ、株式会社リコー、その他日本企業へ派遣され、手作りの国際化方法論を提供した。

 

また独自に、多数の企業に対して国際化方法論を提供している。現在は、実戦向きに異文化ビジネス交渉論に特化したプログラムも作成している。

 

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1996年に独立して現在まで国際経営コンサルタントとして仕事を行い、それと並行して、日本人に異文化コミュニケーション、ビジネス英語、交渉英語、国際経営管理などの研修を提供してきている。その資料は全て私の手作りである。

 

2000年頃から、Internetの回線速度が飛躍的に上昇し、Internet通信が非常に楽になってきた。独立個人事業家として、この技術革新のお陰でまたとない道具を手にしたようなものだ。職業柄様々な資料を作成するが、その時に、以前は、書店に行き、いろんな専門書を買い、そして情報を集めて参考にしたが、高速Internet回線のお陰で、全世界から有用な情報を家の仕事部屋に居ながらにして集めることができるようになった。

 

2003年になった頃、Internet上で意見交換するIntercultural Communication Forumに参加した。それは英語のみの媒体で、何度か意見を投稿した時、シンガポールから参加していた同業者と知り合い、彼から、ある仕事の紹介を受けた。それは、米国にある異文化経営コンサルタントからの仕事依頼で、日本に赴任する米国人に対して「日本対応研修」が提供できないか、というものであった。その会社とは、Global Dynamics Inc.で、すぐに私はそこの社長(Dr. Neal Goodman)と交渉を始めた。その2年後2005年にようやく彼から仕事の依頼が舞い込み、蓋を開けて愕然とした。なんとJohnson & Johnsonの米国人役員に対して1対1で日本対応研修を提供することになったのだ。研修資料は、Global Dynamicsが作成したものを使用した。それは100頁以上もある分厚いもので、2日間研修用だった。私は、それを印刷して丁寧に読み、私独自に追加する資料も作成して、研修に臨んだ。研修後しばらく経ってから、私に素晴らしいフィードバックが来た。私は今もこれを忘れない。私から研修を受けた米国人役員は、いろんな不安が解消されて、意欲的に仕事を始めたとの由。それから、私は、Global DynamicsのSenior Associateとして登録された。

 

この成功により勢い付き、英語を使って外国人に研修を提供する醍醐味がわかり、次に、私独自の切り口から英語で外国人用の研修資料作成を始めた。そして、2005年に、米国オレゴン州にあるパシフィック・ドリームズ社の日本人社長から連絡を貰い、米国在の日本企業幹部社員と米国人社員に対する異文化研修提供の依頼が舞い込み、私は、オレゴン州に飛び、連日一週間、以下のような研修を提供した。

 

対日本人(使用言語:日本語と英語)

◎米国人とのコミュニケーション
◎契約交渉
◎プレゼンテーション
◎産業文献日英翻訳

対米国人(使用言語:英語のみ)

◎日本人とのコミュニケーション
◎プレゼンテーション
◎交渉
◎日本式生産管理

 

この研修も大成功をおさめ、以後4年間、毎年オレゴン州に行くこととなった。

更に、ExxonMobilの米国人役員Johnson & Johnsonの日本法人米国人社長及び米国人役員、American Expressの米国人アジア・オセアニア社長、Prudential Investmentの日本法人米国人副社長・・・に対する日本対応1対1研修などを提供している。

そして、今年の2月、世界最大のSNMであるFacebookの米国人参加者から連絡を貰い、その接触から僅か10日以内で、私は、ジョージア州オーガスタに飛び、Pyramid ODIから、Situational Leadership®、Conflict Resolution, Arts of Delegation, Communication, Trainer as a Coachの研修を受け全ての研修講師としての資格を取得した。これは、米国人を対象とした研修であって異文化とはなんら関係がない。従って、私は、米個人に対してこの研修が提供できる資格を有していることになる。当然ながら私が受けた研修は凄まじいものであった。

 

なぜこの資格を得たかと言えば、Pyramid ODIの顧客が日本に製造工場を持っていて、そこに対する研修を私が提供することになるからだった。米国式組織管理方法を日本人従業員に指導することになる。これは2011年の1月頃に開始されるが、私は、日本人従業員がどのような反応を示すか、既に、想像している。私は、米国文化を知っている。しかし生粋の日本人はそれを知らない。

 

私は、この経験がどのように今後私に影響を与えるか、それは未知数だが、思い込みを排除して頭の中を空白にして臨むつもりでいる。きっと私も日本人従業員も想像を絶する刺激を受けることだろう。

 

今後、私は、更に、このような資格と海外経営実体験を活用して、日本人には本格的な国際経営管理手法、英語コミュニケーション、交渉英語を教えて行きながら、同時に、外国人に対して日本対応研修、日本式生産管理方法、日本人労務管理方法などを英語で提供して行く。

 

以上

以下のサイトもご参照ください。

http://office-tomishin.at.webry.info/

http://office-tomishin.at.webry.info/200910/article_1.html

http://billabac.blogspot.com/

 

 

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